移住者インタビュー

60歳でUターン!離れたかった故郷が、かけがえのない場所になりました。

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集落活動センター「奥四万十の郷(おくしまんとのさと)」で5年にわたり集落支援員を勤め、地域づくり活動の支援を行いました。

嶋本 隆男さん

  • 出身地:津野町
  • 現住所:津野町
  • 移住年:2010年

中学生だったあの頃は外の世界に憧れていた

私は旧東津野村(現在の津野町)の山村で育ちました。中学生の頃は学校から帰ると、毎日田んぼや草刈りなど家の手伝いをすることが当たり前でした。家にいたらずっと家の手伝いをさせられる、正直こんな仕事は続けていけないと思っていました。自宅から車で10分ほどの距離にある商店街のあたりがとても栄えていて、そこに住んでいる同世代の子どもが羨ましくて、羨ましくて(笑)とにかく家や地域から出て、外の世界を見たいと思っていたことを覚えています。

中学3年生になって進路を考えた時、テレビで見るきらびやかな大都会に憧れ、家を出ることを選びましたが、そこからは苦労の連続でした。数年間は各地を転々としましたが、最終的には高知市で車の保険会社に就職し、営業の仕事をしました。当時を振り返ってみると、若かったこともありますが最初はお客様に全く相手にされず、契約がとれなくて本当に苦労しました。しかし、諦めずに取り組んでいると、趣味のスポーツを通じて知り合ったお客様とのご縁で、新たなお客様を紹介していただき、そこから輪を広げていくことができました。仕事で学んだこのコミュニケーションスキルや経験は、Uターン後、集落支援の活動にも活かせています。

地元に戻ると60代はまだまだ若手!

車の保険会社には27年間勤めて、定年で退職しました。私の周りでは定年退職して余暇を楽しむ方が多く、私も定年後は年老いていく両親の世話をしながら、育った場所で趣味のキャンプや登山を楽しみつつ、自分の時間をゆっくり過ごしたいと考えました。ということで、生まれ故郷の津野町にUターンすることを決意したのです。

60歳でUターンをしましたが、思い描いていた定年後の生活と、津野町の現状の違いに驚きました。津野町で周りを見てみると、田んぼや畑で生涯現役を貫いている方が多く、60代はまだまだ若手の扱い。都会の60代と感覚がまったく違うんです。実家に帰ると早々に、親父からどこか勤めに行くことをすすめられました(笑)

営業の経験を活かして地域を支える集落支援員に

若くして津野町を出たこともあり、住民のことも地域のことも知らないことだらけでした。ここでの暮らしを続けていくのであれば、まずは地域に馴染んでいかなければ!と思い、地域のお祭りや道づくりなど地区の行事や活動に積極的に参加することから始めました。

その頃、津野町では集落活動センター(※)の立ち上げに向けた会議がすでに始まっており、私は郷(ごう)地区の地区長としてその会議に出席しました。これからの地域の未来のためにと、地域の活性化を考える住民が集まり、200回を超える話し合いを重ねました。開所に向けて準備は進んでいきましたが、センターの窓口となる集落支援員がなかなか決まりません。

ある日の会議で、地域の方から「嶋本さんが支援員をやってくれるなら、私もメンバーとして協力したい」と言っていただきました。それをきっかけに、乗りかかった舟を降りるわけにはいかない、私にできることであれば、と平成27年、集落活動センター「奥四万十の郷」の開所と同時に、郷地区の集落支援員として勤めることになりました。

※集落活動センター…地域住民が主体となり、それぞれの地域の課題やニーズに応じて、生活、福祉、産業、防災といった様々な活動に総合的に取り組む仕組み。

一度訪れた人がまた来たいと想う地域づくり

それからは本当にたくさんの方に支えてもらいながら、何とか活動してきました。地域の方にも地域外の方にも来てもらえるような場にしたいと、地域の食材を生かした「農家食堂café・イチョウノキ」を始めたり、特産品の「いらずの茶」を販売したり、高齢者への配食サービスを始めたり、様々な活動を地域の皆さんと共に進めてきました。

活動において大事にしてきたことは、「人との繋がりをつくっていくこと」と「その輪を広げていくこと」。人が集まらないと地域の拠点にはならないと考えていたからです。田舎は人と人との距離感が近い分、日ごろのお付き合いが大切です。私は、住民の皆さんを覚えてつながりを作るために、配食サービスでは自ら積極的に食事の配達を担当しました。

どんなに小さなことでも地域の皆さんに質問し、教えてもらって取組んでいくことの繰り返しでした。「奥四万十の郷を拠点に人を繋いでいく」、「アナログかもしれないけれど地道に地域のファンをつくっていく」、そんな想いで活動を続けました。

大阪から来ていただいた方から「また行きます」と年賀状が届いたり、他市町村のサッカークラブの子どもたちが奥四万十の郷でランチを食べた思い出を高知新聞の読者コーナーに投稿してくれたりと、活動で繋がった方たちから温かいメッセージをいただきました。活動の励みになりましたし、周りの方に認めていただけてような気がして、集落支援員になって本当によかったと思いました。

地域を支える中で芽生えた故郷への愛着

中学生の頃の私にとって津野町は、とにかく離れたいと思っていた場所でした。長年故郷を離れた後にUターンし、集落支援員の活動を通して新たな視点で地域を見た事で、初めて地域への愛着というものを知ったような気がします。地域に関わることがなければ今でも知らないままだったかもしれません。特に中山間地域にとっては、地域を支える人の関わりを増やして愛着を持ってもらうことが、地域の維持につながっていくのではないか、と考えています。

5年にわたり集落支援員を勤めましたが、今は一住民として奥四万十の郷に関わっています。今となっては私にとってなくてはならない、思い出が詰まった大切な場所です。

これから移住を検討されている方へ

これからの地域づくりに必要なのは、古くからあるものを残しながらも、新たな視点も取り入れていくことだと思います。その土地で根付いている、住民同士のつながりや、決まり事、しきたりなどは、他所からみると一見価値が分からないかもしれません。でも、地域の方が大事にしてきたことを尊重しながらも、外からの視点で新しい風を入れてほしい。そんな方は、地域も大歓迎なはずです!


※この記事は、2023年3月7日時点の情報を掲載しております。

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