移住者インタビュー

【大川村】大好きなこの村を存続させるため、私はここに残った

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地域おこし協力隊や集落支援員を経て、現在は大川村の村議会議員として活動している和田さん。その行動力の根底には、東日本大震災を契機に再認識した都市と地方の関係性がありました。大川村の今、そしてこれからを本気で考える若者、和田さんにお話を伺いました。

和田 将之さん

  • 出身地:群馬県
  • 現住所:大川村
  • 移住年:2014年
  • 職業:大川村議会議員、農業、ラーメン屋、行商

きっかけは東日本大震災

私は群馬県の榛東村(しんとうむら)という人口1万人ほどの村で育ちました。そこは田園風景の広がるのどかな地域で、小さい頃から自然に囲まれた環境に親しんできました。大学進学を機に上京し、2回生の3月に東日本大震災を経験。その半年ほど前には東北地方を自転車で巡っており、震災後の状況にはとても悲しい気持ちでいっぱいになりました。

発災から半年後、岩手県へ復興ボランティアとして赴き、その変わり果てた姿を目の当たりにした私は「このまま、何も考えることなくエネルギーや資源を大量消費する都市部での暮らしを続けていっても良いのだろうか」と漠然と考え始めました。連日原子力発電所に関するニュースが流れ、都心部では計画停電が実施される状況の中、電気、水といった都市の生活基盤を地方の自然が支えていることに改めて気付き、強く感じるものがありました。

とはいえ、社会人経験がない私には、このテーマはあまりにも大きく、今の自分の力ではどうすることもできないと感じ、大学卒業後、一旦は住宅メーカーの営業職として就職。ただ、その生活の中でも「人と自然の関係」や「これからの社会はどうあるべきか」と葛藤していた私は「地方に飛び込んでみなければ答えは出ない!」と思い立ち、移住を決意しました。

大川村との出会いから地域おこし協力隊へ

まず「特定非営利活動法人 地球緑化センター」が実施する短期の活動にいくつか参加し、その後、緑のふるさと協力隊 ※に応募。多くの候補地の中から大川村への派遣が決まりました。これが大川村との出会いです。

会社を辞めて緑のふるさと協力隊として大川村へ移住することを報告した時は、家族にはとても驚かれました。

緑のふるさと協力隊として大川村で活動した一年の間で、嬉しいことに地域の方に「大川村に残ってほしい」と言ってもらい、翌年には地域おこし協力隊として活動を開始。この年は集落活動センター「結いの里」が立ち上がった年で、翌年には新たな給食センターの稼働が控えていました。

地域おこし協力隊としての私のミッションは、地元の農家さんなどを訪問し、給食で使う食材を集めるというもの。地元の子どもたちに給食を通じて地元の食材を知ってもらうことで、地域に貢献したいという思いで活動しました。移住サポートや地元の子どもたちとの田植えを体験したことによって、地域の方々と関わることができました。

※緑のふるさと協力隊…「特定非営利活動法人 地球緑化センター」が実施する、1年間の農山村ボランティア。住民として地域の方と関わりながら暮らし、農作業やイベントなど多種多様な地域に求められるお手伝いをすることで、地域活性化を目指す取組み。

大川村に残ったわけ

この頃には既に、大川村以外で暮らすことは全く考えられなくなっていました。妻との出会いもそうですが、まだまだ未熟だった私を頼ってくれ、温かく見守ってくれる村民の皆さんの存在はとても大きかったです。人生の転機として、私には大川村という地域そのものがフィットしたようです。

また、地域おこし協力隊だった当時、大川村の抱える大きな課題は、「人口減少」と「地域を引っ張っていく若者がいないこと」だと考えました。そして、地域に残って課題解決に取り組むことこそが、自分にできる一番の恩返しだと思い、この村に残ることを決意しました。今は妻と子ども3人、義理の両親、祖母の4世代8人で暮らしています。

このような大川村での生活の中で、大好きな渓流釣りをして釣れた魚でバーベキューしたり、家周辺の綺麗な景色を見ながら家族で散歩したりして楽しんでいます。また、地域の方たちと集まって飲んだり食べたりすることも楽しみの一つですね。

地元、群馬との共通点

実は、地元である群馬県と大川村には意外な共通点があります。群馬県で生産されるこんにゃくは全国シェアの約9割を誇りますが、大川村にもプルンと柔らかくて美味しい「田舎こんにゃく」があります。私はよく、薄くスライスして醤油や生姜でいただいています。

また、群馬県には昔から「かかあ天下」という言葉があります。強い女性や家事も仕事もこなす働き者の女性を指す言葉ですが、高知県の女性も「はちきん」と呼ばれ、男勝りな女性が多いと言われています。

私は移住当時からここでの生活がどこか居心地よく感じていて、このような移住後に気付いた群馬県との共通点も、大川村にフィットした理由の一つかもしれません。

村民同士の協力は当たり前


人口の3~4割が移住者の大川村ですが、ここでの生活は人々の支え合いで成り立っています。例えば、山水を使用するので水道代はかかりませんが、水源から水を引いたり、道端の木々の伐採は村民が協力して行っています。

こうしたことが当たり前に行われている生活の中で、私は「何でもお金で解決するのではなく、人との助け合いこそが大切だ」と気付きました。自分たちの地域を維持するために住民が協力することは当たり前だと考えられるようになり、これは大川村でしか得られなかった教訓だと思います。

集落支援員を経て28歳で村議会議員へ

地域おこし協力隊として活動した後、集落支援員として給食センターの運営に携わりました。また、水源から水を引いてくる生活は高齢者にとって厳しく、将来村に住み続けることが難しくなるかもしれないという課題を解決するために水源地調査にも取り組みました。16の集落がある大川村ですが、集落ごとに課題は異なり、大川村が抱える地域課題に幾度となく直面しました。

28歳で村議会議員に初当選した時は、自分の若さをどう活かせるのかと悩みながらも、「大好きなこの村を存続させたい」という思いで奮い立ちました。最初の3年間は地域のスローなスピードと自分が実現したいこととの差に歯がゆさを感じて、しんどい時期もありました。4年目に入る頃、自分の大切にしてきたスタンスは、“村民に寄り添い、日常の会話や気付きからより良い方向に向けて取り組んでいく”ものだと再認識し、議員を続ける決意を固めました。

農業をはじめとする副業

本職以外では、畑を借りて露地栽培で作物を育てており、収穫できた作物は給食センターにも提供しています。妻方の祖母が作るかりんとうなどの加工品を愛媛県西条市へ販売しに行ったりもします。このほか、シルバー人材センターに登録(大川村では年代問わず登録可)し、村内の高齢者のために草刈りや清掃などを手伝ったり、4年前には閉業予定だった地元の人気ラーメン店を継承し、「結いの里」で提供しています(詳細は当記事下部を参照)。月に数回しか食べられない「幻のラーメン」をぜひ大川村で味わっていただきたいです。

これから大川村をどうしていきたいか

大川村の人口減少の原因は仕事がないからと言われていますが、大川村に移住してお店を開業した仲間もいます。今後、こうした新たな事業を始める人が増えることを期待していますし、多様な考え方を持つ方々が定住しやすいようサポートしていきたいと考えています。

大川村で育った子どもたちが将来、この村に戻りたいと思えるような村づくりを目指して、共に考える仲間が増えていけば嬉しいです。

移住をお考えの方へアドバイス

移住には失敗例もよく聞きますが、みなさんが移住前に抱く期待や譲れない信念があるのなら、それは大切にし、事前の情報収集をしっかりと行ってほしいと思います。

大川村の場合、スローライフを求めて移住を検討する方もいますが、村民とのつながりも強く、イベントごとも多いので、求める暮らしとのギャップを感じる方も中にはいます。大川村は、自分で生活を設計し、切り開いていけるようなバイタリティーを持った方にぴったりの場所だと思います。

■村のえき「結いの里」
【住所】高知県土佐郡大川村船戸239
【定休日】水曜日
【営業時間】10:00~16:30

※「ラーメンの日」は毎月不定期の土日祝日のみでの開催で、
 食べられるのは 11:00~14:00(ラストオーダーは13:30) です!

 毎月開催日が異なるため、最新の日程は下記リンクからご確認ください。
 大川村集落活動センター結いの里 |Facebook




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