飲食店をスタートするために必要な業務用冷蔵庫、調理器具、食器類がそのまま利用できることはもちろん!寿司カウンターには巨大なショーケース、調理場奥にはグリル焼き、ガスコンロも複数あります!和洋中を問わない十分すぎる設備で、料理の幅が広がりますね!
県内の有名ホテルや料理屋で培った郷土料理・皿鉢料理の技術と、先代から引き継いだ地元民に愛されるお寿司の調理技術を継承!四万十の豊かな自然で獲れる店主こだわりの厳選・地物食材と、あなたの調理経験がコラボレーションすれば、ここでしか食べられない絶品アイディア料理が提供できること間違いなし!挑戦をお待ちしています!
1階店舗エリアはカウンター5席、テーブル15席(5席×3テーブル)、個室大20席、個室小6席と広々!2階宴会場(80名収容可)の利用も希望があれば相談に応じます。四万十市国道沿いにある大型店舗であることを活用して、地域の集会やイベント企画、交流会などにも活用される、コミュニティスペースとしても役割も担えるかも!?今ある資源を最大限活用して、四万十市に飲食店開業を目指しませんか?!
店主 竹中さんご夫婦へのインタビュー
—現在に至るまでの歩みを教えてください。—
もともと母がお寿司を作って八百屋や魚屋に売っていたんです。父は戦死し、看護婦だった母が女手一つで育てるのに、小遣い稼ぎだったんでしょうね。出勤前に海苔巻きをパックに詰めて卸していたのが始まりです。
それが近所で美味しいと評判になり、卸しの注文がどんどん増えてきて。九州の病院への転勤話しが重なった1970年(昭和45年)に、看護婦を辞めて本格的に寿司屋になりました。
その後は常連さんもついて忙しくなってきたので、私も県外から戻り、母は卸し業をやめて駅前にカフェを出し、私が店を継いで現在のスタイルを作りました。
—料理は県外で学ばれたんですか?—
料理は高知で修行しました。まるふく料理店に3年、三翠園ホテルで3年。まるふく料理店は当時から、高知の料理屋では5~6件の指に入る名店です。母のお寿司の味は守りつつ、修行先で学んだ皿鉢料理や定食、丼もの、にぎり寿司を提供してお店を大きくしてきました。
—お母様との想い出がいっぱいなんですね!—
そうですね。大きい借金はしたくなかったので、タバコとお酒を減らしてとにかく切り詰めながら事業を拡げました。
2階の宴会場はニーズが多くて、最盛期は80~100名規模の宴会もやりました。忘年会、新年会、家族親戚の御祝い行事、学校や役場など公共団体の集いなど色々あったので。どれも本当に思い出深いです。
—最近はどんな方が利用されてますか?—
最近はコロナもあるので団体予約は受けず、1階だけでランチと夜を営業しています。
地元の常連さんや知人・友人、その家族の繋がりで、遠くから来てくれる方もあります。あとは地元の教員や役場の集まりで使ってもらっています。
コロナが流行するまでは、地元の婚礼や葬祭場への皿鉢料理の発注も多かったです。提携こそしていないものの、地元の祭場では利用者の要望がない限りは、ウチに注文してくれました。やっと安定供給できるようになった矢先に、コロナが流行ったので残念です(笑)。
—人気メニューはなんですか?—
「和風焼肉定食」ですかね。特上肉ではないけど、同じくらい旨味がある肉を使ってローストビーフのように作るんです。結構歯ごたえがあるので大きく焼いて、半分は蒸し焼きにして、タレを工夫して柔らかく提供しています。
あと、市場から直接取り寄せた新鮮な刺身と天ぷらの豪華な「寿し一定食」も人気です。これ一つにお酒をつければ、一人宴会ができますから(笑)
—大切にしてきたことを教えてください—
やっぱり誠実さですね。目標は高くしても高望みせず、足元をしっかり見つめて、コツコツ積み重ねることが大事だと思っています。
—どんな方に引き継いでほしいですか?—
居抜きで使えるので、四万十市で飲食をやりたい人には良い条件だと思います。でも、飲食業にこだわらないです。ただ、なるべく長く続けてほしいですね。
—成功の秘訣を教えてください—
自分のやりたいことだけど、地域や住民にも喜ばれること。自分と地域の両方に良いことがないと、何事も長く続けることは難しいと思います。しっかり腰を据えて、その時代に沿って変化をしながら、新しいにぎわいを生んでほしい。そのためのサポートなら喜んで引き受けます!