移住者インタビュー
豊かな海に恵まれ、日照時間も長いことから全国でも天日塩づくりが盛んな高知県。完全天日塩作りで知られる田野屋塩二郎氏のもとで修業し、世界に向けた塩づくりを目指している工房が安田町にあります。 それが、埼玉からIターンした夫婦がスタートさせた「田野屋紫蘭」。夢に向かって全力で走ってきた、熱い想いがありました。
小坂 英晃さん
小坂 千里さん
きっかけは偶然見たテレビ番組
英晃さん-
埼玉県出身で、春日部市役所で勤務していました。しかし、ずっと公務員として働いていくという人生は想像がつかなくて…。自分の力だけでやっていきたいという想いは持っていました。
農業関係の課に所属していたので、農家の方と関わる中で一次産業の魅力は感じていましたが、素人が農業を一から始めるのはなかなか難しいもの。
そんな時に偶然、『田野屋塩二郎』さんに密着取材したテレビ番組を見ました。塩二郎さんは東京出身、都内でサーフショップを経営していたという、塩づくりに縁もゆかりもなかった方です。全くの未経験から始めて天日塩のブランドを創り上げた姿に感銘を受けました。
早速田野町役場を通して塩二郎さんに連絡を取り、その年のゴールデンウィークに田野町を訪れ、塩作りを体験。それが初めての高知でした。
千里さん-
私も埼玉出身で、夫と同じ春日部市役所で働いていましたが、転職も検討中でした。公務員の仕事はゼネラリスト、異動があるので約3年ごとに違う仕事になります。ひとつのことをやり続けるという仕事に惹かれていた部分はあったと思います。
しかし、当時交際中だった夫から天日塩づくりのことを聞いた時は「塩で生計が成り立つのかな」と思いましたね。というのも、埼玉は海なし県なので道の駅などに塩を置いていることもなく、なじみがなかったのです。
“人生を賭けてやるべき仕事”との出会い
英晃さん-
塩二郎さんに弟子入りを志願した時に言われた言葉は「公務員をやめてまでする仕事じゃない」。しかし、塩づくりのハウスに入り、最高峰の塩を作るための姿勢に触れたことや、実際に食べた塩二郎さんの天日塩の味に衝撃を受け、これが自分の望んでいた仕事だと感じました。
ゴールデンウィークは一人で田野町に行ったのですが、そこで知ったことは、塩づくりは2人1組で行わないといけないということ。熱中症などの心配があるのでひとりで作業するのは危険なのです。夏にまた、今度は妻と共に塩二郎さんのもとに行くことになりました。
千里さん-
先に田野町に行った夫から聞いた話や、自分自身もハウスを訪れて塩づくりを目の当たりにしたことで、「これは人生を賭けてやるべき仕事だ」と感じました。
修行から始まった新婚生活
英晃さん-
塩二郎さんには、「妻と籍を入れました」「退職願を出しました」と退路を断つ行動を見せることで、本気度を伝えていきました。そして、弟子入りすることができました。
田野町へは地域おこし協力隊として移住。移住促進住宅があるので、移住自体は大変ではなかったです。
しかし、新婚生活がいきなり修行。塩に対する疑問をぶつけ合う中で、それまでお互い知らなかった部分などが見えたのはおもしろかったですね。
千里さん-
市役所時代は担当が違っていたので、夫と一緒に仕事をしたことがなくて。「なるほど、こんな仕事の仕方をするのか」など、いろいろな発見がありましたよ。
英晃さん-
修行中、塩二郎さんは理論じゃなくて感覚的なことしか教えてくれません。しかし、技術が身につかないと終わってしまいます。塩二郎さんの姿を見ながら全力で試行錯誤する3年間でした。
自分たちは元公務員らしく、最初の1年目はハウスや海水の温度などをデータ化し、マニュアル化するところからスタート。2年目はそのデータをもとに塩づくりをしましたが、塩二郎さんの味に近づきません。そこで、壁にぶつかりました。
そのため、3年目からは感覚の世界で作ってみよう、と。塩の色合いや香りなどは微妙なもので、データ化しようにもできないことに気づいたんです。
自分たちの感覚に頼るようになって、塩の味が変わり、理想に近づいていきました。やればやるほど奥深さを感じ、夢中になっていきましたね。
塩づくりは1日も休みなく作業があります。休みがないのが辛くて続けられない人もいるそうです。塩二郎さん曰く「この生活を3年間続けられたら自分たちでできる」。それが修行卒業の目安でした。
千里さん-
修行を始めてから今に至るまで5年間、唯一あった休みが自分たちの塩づくりのハウスを建てている時ですね。その時、移住4年目で初めて桂浜に行きました。
ご縁で決まった安田町への移住
英晃さん-
3年間の修行は夢中で日々を過ごしていましたが、自分たちのハウスを建てるための土地探しが大変で。修行を始めて1年半頃から探し始め、大月町から東洋町まで探しましたが条件に合う場所が見つからず、徳島、瀬戸内、九州、山口、千葉、と巡りました。
現在ハウスがある場所は海から距離がありますが、パイプを引くことで海水が届くことが確認できたため、決断しました。実は最初に気になったけれど海水が取水できないと思って諦めていた土地でしたが、無事に塩づくりができそう、ということでホッとしましたね。
千里さん-
なるべく完全天日塩づくりに適した場所を探し、結果的に隣町である安田町で見つかりました。これもご縁だと思っています。
英晃さん-
開業にあたっては資金調達も大変でした。ウッドショックやウクライナ戦争の影響で物価が高騰し…。何とか資金調達し、安田町の起業の補助金も活用しましたが、相当の自己資金がないと塩づくりは難しいですね。
“生き物”として塩を扱う
英晃さん-
四六時中塩の様子を見て、触って、塩の機嫌を見る生活です。まるで子どものような感覚でしょうか。触った瞬間に塩の機嫌がすぐわかりますが、自分たちの機嫌も伝わります。夫婦の関係が良くないと、塩も荒れちゃうんです。
千里さん-
おいしい塩を作るために仲よくしよう、けんかを引きずらないようにしようという面もあるかもしれません。
英晃さん-
安田町は山も川も海もコンパクトにまとまっていて、豊かな自然とキレイな水があり、日照時間も長いエリアなので塩づくりに向いている場所です。ここで塩づくりをやれてよかったな、と思っています。そして、優しい方が多いですね。
公務員の時は人相手の仕事でしたが、人間界から自然界に来た感覚。まるで正反対の、自然の中に身を置くことを楽しんでいます。
千里さん-
私もこれまで高知に来たことがなかったので、最初は、お買い物などが大変そうだなという印象でした。しかし、住んでみると暮らしに不便はありません。
周辺にスーパーやドラッグストア、病院なども揃っていて、高知市内も1時間程度で行けます。
公務員をやめて移住して塩づくりをしてよかったと思っています。心落ち着ける場所で、自分たちが好きな仕事ができるという貴重な機会をもらえてよかったです。
英晃さん-
安田町は高知龍馬空港から比較的近いというのもメリット。埼玉の友達にも遊びに来てもらいやすいですね。
海と人の架け橋となる塩をつくるために
英晃さん-
現在は、主に料理人の方の間のクチコミからお仕事をいただいています。その中で、タイのミシュラン星付きレストランからも依頼がありました。
梅やゆず、わさび、ワイン、抹茶など、結晶化させてなんでも塩にできるのが完全天日塩の特徴。例えばお米を使った「米塩」は、焼き鳥屋さんのオーダーがきっかけで生まれましたが、今ではフレンチのシェフにも使っていただいています。
千里さん-
料理人さんの発想は柔軟なので、いろいろと教えてもらっています。一緒に磨き上げている感覚ですね。オーダーメイドの塩づくりも増やしていきたいですが、自分たちの屋号を広めるために、市販の塩の展開にも力を入れています。
私自身、公務員時代はコンビニの食事が多く、味の濃いものが好きでした。しかし、5年間自分たちで作ったお塩で料理をしていたら、市販の調味料が塩辛く感じるようになり、体が変わってきたという感覚があります。塩には体を変える力がある、ということも伝えていきたいですね。
英晃さん-
みんなが驚くような塩を作りたいです。人の血液や体液のバランスと海水の成分は似通っています。海と人の架け橋になるような塩を作りたいですね。
高知は応援してくれる人が見つかる場所
英晃さん-
高知は面倒見の良い人が多いと思います。移住して起業を志している方は、まずはその土地になじんで、協力してもらえる人を見つけてほしいです。
そして、高知県は県や市町村の起業や移住の補助が他の県より厚く、柔軟な自治体が多い印象。そこを頼り、相談するのが近道だと思います。
千里さん-
自分のやりたい事業を明確にして、それを伝えられるようになると、おのずと助けてくれる人が出てくるのではないでしょうか。
私たちも事業計画書を作って、あちこち回りました。諦めずにやってきたことで、結果がついてきたという実感があります。
イベント出展情報
安田町は、1月18日(土)東京、19日(日)大阪で開催される「高知暮らしフェア2024冬」に出展します。安田町での暮らしにご興味のある方は、ぜひご参加ください。
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