移住者インタビュー
妻と二人三脚で、お茶の販路を拡大中です。
三原 大知さん
家業の仕入れ元の津野町で、茶畑と出会う
農業には初挑戦ですが、「お茶」という作物そのものにゆかりがあります。うちの家業が、明治7年に創業したお茶の製造・販売の会社だったんです。ただ今の時代、単に茶葉を売るだけじゃやっていけないということで、お茶を使ったスイーツの製造やカフェの営業に父が事業を拡大し、長野県内に約10店舗展開していて。兄や姉が継がなかったこともあって、末っ子の僕が5代目として商品開発や仕入れ管理、営業なんかを担当していました。
ですが、親子一緒に働く、後継するということの難しさをお互い実感していましたし、僕自身も父のような事業家になりたい、起業してみたいという気持ちもあって……。そんな時、一番茶の主要仕入れ元だった津野町を初めて訪れたんです。それから、「ここで一次産業を始めて六次産業化を目指したい」と津野町の農協に電話するまで、約2週間でした。
農家が減少して耕作放棄地が増えていると聞いたのと、何より「なんて素晴らしい茶畑だ!!」と感動したんですよ。まぁ実際に来てみると、荒れ切った急斜面の畑で2m超まで伸びたお茶の木を刈取るところから始めなくてはならず……さっそく心が折れそうになりました。畑は今約6000坪借りてますが、半年後に妻が来て手伝ってくれるようになるまで一人黙々と作業していたんですよ。体力的にはもちろん、人と話すのが好きな僕にはキツかったですねえ。
「チャラい」自分を支えてくれる妻に感謝
実は「チャラい」とよく言われます。ちょっと前までは頭の左半分だけ刈り上げた髪型で、着任直後に出た飲み会で自分から“返杯”をしに回ったら、止めどころが分からなくなって途中から記憶飛んじゃうし、その後の飲み会もとにかく全力でやり切りますし(笑)
昔ながらの田舎の人付き合い、コンビニまで40分かかるような環境、それに農業の手伝い……インドア派で人見知りの妻には、結構な苦労をかけていますね。でもずんずん進んでいってしまう僕をよく理解してくれていて、一線を引いたところから見て止めてくれる存在として、感謝しています。
経営者として、シビアに今後を考える
考え方や価値観は、移住してから大分変わったところもあります。家業や家族から離れて初めて、自分に見えないところでかかっていたお金や、経営者になるために求められる利益へのシビアさに気づきました。
自然相手の仕事だと定期的な休みはとりにくいです。茶畑でボケ~っとしてることもありますが、どこか出かけるのは月に一度あるかないかで、ほとんど仕事をしていますね。協力隊は副業がOKということで、一年目に摘んだ茶葉や町名産の「親子茶(※)」などをフレーバーティーに製品化して、販売を始めました。妻は絵を描くのが得意なので、パッケージのデザインをやってもらってるんですよ。
※「親子茶」・・・一番茶と二番茶の間に収穫するお茶のこと。
この仕事も茶畑同様、最初の数か月は相当しんどかったですけどね。初期投資に結構かかりましたし……。でも徐々に県内の道の駅を中心に販売先を増やせているので、もっと販路を拡大していきたいですね。どうしても、お茶の栽培だけでは食べていくのは難しいので、売るところまでしっかり頑張らないと、と考えています。
地域おこし協力隊への応募を考えている方へ
ここに来た時期も含めて、僕は何かとタイミングや運に恵まれていると思ってますし、骨をうずめるつもりです。協力隊への応募や移住に迷う人には、不安をすべて解消しないと挑戦できないという気持ちがあるかもしれませんが、やってみたくなったら行動した方がいいんじゃないですかね。失敗しても立て直せるわけですしね。
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