移住者インタビュー
都市部から地方に移り住み、地域の課題解決のためのミッションに取り組む「地域おこし協力隊」。移住後の仕事の選択肢のひとつでもありますが、どのような活動をしているのか、具体的にご存じでしょうか。そこで今回は、神奈川県からIターンし、「地域おこし協力隊」を経て地域の中心で活躍されている小野さんにお話を伺いました。
小野 義矩さん
行ったことのない場所だから選んだ高知
神奈川県川崎市出身で、ずっと川崎に住んでいました。都内の大学の建築学科を卒業後、ベンチャー系の建築会社に就職し、その後、スポーツバイクのプロショップに転職。国内での売り上げ1位を獲得するなど、充実した毎日でした。しかし、妻と休みの日も全く合わず、家族との時間がなかなか取れなくて…。子どもと一緒に過ごす時間を増やしたいと思い、移住を決断しました。
移住先は、妻と日本地図を広げ、行ったことのない場所の中から選びました。2人とも行ったことがなかったのが、四国。移住後も自転車に関わることをしたいと考えていたので、暖かい場所に住みたいという気持ちはありました。そこで晴天率を調べ、一番高かった高知を選んだという経緯です。そして、高知県の「移住相談窓口」で移住コンシェルジュに相談、高知暮らしフェアにも参加しました。そこで、コンシェルジュの方からおすすめされたのが、いの町と室戸市。さすがに1回くらいは高知に行っておかないと、と夏休みに家族で現地ツアーに参加しました。いの町も室戸市もどちらも魅力的な場所でしたが、妻は移住後、勤務している会社の高知営業所に転勤予定で。勤務先が高知市内だったので、通勤を考えると室戸は地理的に難しいということで、おのずといの町に決定しました。
自分自身は、建設業界から自転車業界という異業種でのキャリアを積んできたので、移住後も新しいことに挑戦したいと考えていましたね。移住フェアをきっかけに、いの町の移住担当の方とつながりができたことで、地域おこし協力隊としていの町に赴任することになりました。
「自責思考」で進んでいった地域おこし協力隊時代
地域おこし協力隊としてのミッションは、中心市街地の活性化でした。地域おこし協力隊の仕事は、誰かが指示をしてくれるわけではなく、何をしたらよいのか自分で見つけていかなくてはなりません。まずは商店街の各店舗を回り、プロフィールを配って自分を知ってもらうことから始めました。
いの町で初めての地域おこし協力隊員だったということもあり、感じたのは「任期の3年間が終われば、川崎に帰るんでしょ?」という地域の方の気持ち。そう思われるのは、仕方のないことですよね。そこで、名刺代わりにお店を開けば、定住する意思を伝えられるかもしれないと思い、古民家を改装した飲食店をオープンしました。事業計画書を作り、政策金融公庫から借り入れをし、それが初めての開業でしたね。それからは、地域おこし協力隊としての仕事をしつつ、休日は飲食店の経営をしていました。
その後、いの町の特産品である生姜を使った、他とは違う商品を作りたいという想いから、クラフトコーラブランド「高知クラフトコーラsawachina」を立ち上げました。当時、世に出始めていたクラフトコーラに着目し、第一人者である「ともコーラ」の古谷知華さんにダイレクトメールを送って…。面識はありませんでしたが、企画書なども見てもらい、ともコーラさんの監修という形で実現しました。地域おこし協力隊としての仕事は、思い描いていた仕事像があまりなかったこともあり、ギャップなどは感じませんでしたね。地域を「おこす」仕事なのだから、移住先は様々な課題を抱えた地域というのは当たり前です。そういった環境で自分は何をできるのか、考えることが大切。すべて自分の決断で今があります。「自責思考」を持って、取り組んできました。
打席に立つ回数を増やす
地域おこし協力隊を卒業後は、個人事業主として活動しています。今年の4月には、いの町の中心部でドーナツ専門店「YAIRO DONUTS」を開業しました。ドーナツ専門店をしようと思ったきっかけは、仁淀川の入り口であるいの町で、ドライブ中に気軽に食べられるお菓子がないと思ったから。
約3年前に県外のドーナツ専門店の方にダイレクトメールを送り、作り方を教えてもらうというところからスタートしました。ドーナツは高知ならではの素材を使用したものや定番のチョコレートを使用したものなど、いろいろな種類を楽しんでもらいたい。そんな想いから、毎日20種類程度のフレーバーを作っています。メニュー開発も自分たちで行っていますよ。
現在、興味があることにどんどんチャレンジしていますが、建設会社で働いていた時に培ったマインドが大きいかもしれません。注文住宅の施工会社でイレギュラーなことや新しいことに積極的に挑戦する社風の会社だったので、そこで多くを学びました。仕事をする上では、「打席に立つ回数を増やす」ことを意識しています。1回目は三振、2回目はファールでも、3回目にホームランを打てたらいい。致命的になるリスクは取ってないつもりです。そして、個人でできる最大までやってから、周りに声をかけることも意識しています。仲間を待っていても、時間だけが経つもの。そして、自分でやらないと誰も協力してくれません。チャレンジしているからこそ、周囲から応援してもらえると思います。
子どもたちのふるさととなる「いの町」のために
子どもは3人いるのですが、移住した時に長男は3歳、あと2人は移住後に生まれました。そのため、子どもたちにとってのふるさとはいの町になります。今年、よさこいチーム「いの町合併20周年記念特別よさこいチームいの夏-INOKA-」を立ち上げました。
チームを作ったきっかけは、子どもたちにいろいろな経験をさせてあげたいから。個人でよさこいチームを作るのは資金の面などでも大変だからやめておいた方がいいと、周囲には大反対されましたね。しかし、移住後に楽しい生活を送らせてもらっているいの町に恩返しをしたくて。「オールいの町」でのよさこいチームを作りたいという気持ちを止められず、振り付けや音楽、地方車など、チームに関わるすべて、いの町ゆかりの人を集めていきました。
それまで面識のない方ばかりでしたが、「地元のために」という想いで、さまざまなご縁で協力していただきまして…。ひとりでのよさこいチームの立ち上げは正直大変でしたが、いろいろな方にアドバイスはもらいつつ、結果的にはスタッフも入れて140名以上のチームになりました。今年のよさこい祭りでできなかった課題もあるので来年もやろうかな。
地元愛を持って展開する事業
高知県に移住後、いの町から出たいと思ったことはありません。その気持ちは妻の方が強いくらいで、移住前はやったことのなかった釣りや家庭菜園などを全力で楽しんでいます。子どもたちが保育園や小学校に入り、地域との関わりが増えるにつれ、自分自身の地元愛も増していますね。
起業するという視点で考えると、人口の多い首都圏の方が、特にサービス業であれば有利かもしれません。しかし、いの町では商店街にお店がひとつできると雰囲気がガラッと変わります。個人単位で街の風景を変えられる可能性があるのは高知。高知県は、ビジネスを通して自己表現しやすく、好きなことをやりやすい場所なのではないでしょうか。今後も、町を楽しくするためにできることをやっていきたいです。「いの町は元気のある町だね」と言ってもらいたいですね。いの町産の食材を使った新たな飲食店の展開なども計画中です。
夢中になれるものを見つける
高知県に限らず地方では、いろいろなものがないというのは当然のことです。特に都心から移住する方であれば、ギャップを感じてしまうかもしれません。そういった環境を受け入れ、自分でどう消化するのか。それができる人が移住に向いていると思います。ないなら自分で作る、という精神が大切かもしれませんね。そして、特に地域おこし協力隊として移住する場合は、自分でしっかり決めて、自分で行動することが重要です。「夢中になれるものを見つけて、自分の生活を楽しむ」、それが一番大切だと感じています。
小野さんもゲストで参加する、交流イベントが東京で開催されます!
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