移住者インタビュー
自然のものにふれるものづくりに憧れ、紙漉き職人として伝統工芸に携わる田村さんにインタビューしました!
田村 亮二さん
―高知に移住したきっかけと経緯
私は窪川(四万十町)の出身で、高校を卒業するまでは地元で暮らしていました。卒業後は愛知県の自動車部品メーカーに7年間勤めました。そこはソフトボールにとても力をいれていて、平日は仕事が終わってから練習、さらに休みの日は試合。仕事の延長みたいなものですので、真剣だからこそプレッシャーも大きかったです。
仕事では、毎日鉄を加工する日々で、そんな中「自然のものにふれるものづくり」をしたいという気持ちがずっとありました。
それならやはり伝統工芸かなと。後継者不足といわれていたのは知っていたので、「なんとかなるかな」とまだ具体的に何をやりたいとも決めずに高知に帰ってきました。
―紙漉き職人への道
なんとなく伝統産業をやるということだけ決めて帰ってきたため、高知へ来てすぐに紙職人に道が定まったというわけではなかったのです。
すぐに受け入れてくれるところはなく、1年ほど自分であちこちにあたってみて、ようやく1992年4月から県立紙業試験センター(現・紙産業技術センター)の紙業科に半年間研修に行く事が決まりました。
研修中はとにかく学ぶことが楽しくて、和紙に関する知識がどんどん深まっていきました。
担当の県職員の方が文化財修復用の紙を専門にされている方で、修復の対象となる文化財が制作された当時の紙の製造方法を教わりました。その経験が現在の主な仕事である文化財等の修復用用紙の受注にも繋がっています。
紙業試験センターでの研修修了後には、県から話をいただいて、製紙会社の手漉き部門に入社しました。そこでは半自動の手漉きで1日200枚の紙を漉いていましたね。今でこそ少なくなりましたが、昔は600枚から1000枚は漉いていたそうです。1年間勤めた後、次に同じく半自動の手漉きで書道用の紙を製造している会社に入社し、そこには1年以上いました。
その後、土佐和紙工芸村で職員募集の話があり、将来独立をするという約束で、1996年からそこの工房で半独立のかたちで仕事を始めました。仕事は組合からの紹介で、普通の紙もあれば美術用のちぎり絵や版画用の紙と色々とあり、冬季には現在のような文化財修復の紙を漉いていました。
なぜ冬に漉くのかといいますと、古い製法の紙は、普通の紙のように塩素漂白を施していないこともあり原材料が傷みやすいんですね。古くから”紙は寒漉き”と言われ、「ねり」と呼ばれる繊維と繊維と結合させる植物性の粘剤は、気温が低いと安定し、丈夫で長持ちする紙ができると言われています。
やがて「自分の工房を持ちたい」という気持ちが強まり、2008年に独立しました。
現在はこれまでの繋がりで受注を頂いています。
自宅に工房を構えているのですが、ちょうど物件を探していた時に、住んでいた家の近くの物件が売りに出されていると知り購入しました。大工さんに頼んだところもありますが、自分でできるところは自分で作りました。あまり作業スペースがないので、色々と工夫を凝らしています。
―移住を実行する際に苦労したこと、やってみてよかったこと
苦労はあまりしていませんね。ひたすら一生懸命やってきた、という感じです。
まわりの人のご縁でここまですんなりとこれた、と思っています。
―これからについて(どういう風に暮らしていきたいか)
今は、やりたいこと、好きなことができて満足しています。
まぁそうやって悦に入っていますが、家族には迷惑かけているかもしれませんね(笑)。
現在は自分のつてで仕事を受注していますが、やはり昔に比べて和紙が廃れてしまったことで、定期的な仕事がなかなかありません。
昔はこの工房の周りもずっと紙漉きの工房が並んでいた地域だったのですが。
それと、現在私は和紙を作る工程の中で、科学的な漂泊をほどこしていません。排水の関係もあって、そういったことをやめているんですね。そのため受注できる仕事が限られているということもあります。
おじさんやおばさんたちが大事に作った原材料を、漂白してしまうともったいないと思うのです。
素材を活かして、千年以上もつ紙をこれからも作り続けたいと思います。
高知の暮らしは、空気もいいし、たべものもおいしい。無理をしなくていい空気があって、時間がゆっくり流れています。
今やっていることが続けられたら一番うれしいですね。
―伝統産業を志す人へのメッセージ
私がそうだったのですが、「後継者不足」ということだけが情報として走るとなんとかなると思ってやってくる人がいるかもしれないので、「どうして後継者不足」なのかということをきちんと伝えて理解してもらう必要があると思います。
例えば職人だけでなく原材料を作る人も高齢化して後継者がいなくなっています。作る人が少ないから国内産の原材料の価格が高騰し、現在は安い外国産の原材料が多く使われています。さらには紙漉きの道具を作る職人さんも高齢化しており、この産業を取り巻く環境そのものが高齢化・後継者不足になっています。
また、伝統的な「土佐和紙」の定期的な需要がほとんどないため、安定した収入を得るのは難しいのですね。
土佐和紙工芸村も、研修生をたくさん受け入れてきましたが、研修後に引き受けてくれるところがなくてやめていく人が多いのが現実です。
もっとサポートがあるのではないか、と思う人もいるかもしれませんが、この道に飛び込むにはどんなことがあっても自分でやりきるという覚悟が必要だと思います。
仕事も生活も、なにもかも全部受け入れ側が整えてくれるんじゃないか、と思ってくると難しいですね。
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