移住者インタビュー
自分の信念を大切にしながら、クラフトデザイナーとして活動する宇田津毅さんのインタビューです。
宇田津 毅さん
―高知にUターンしたきっかけと経緯
学生時代から音楽にのめり込んで、バンド活動を精力的に行っていました。
「一度は県外を見てみたい」という思いから、高校卒業後は1年間働いてお金を貯め、友人と2人で東京へ出ました。上京してからはアルバイトをしながら、音楽を制作する毎日をしていましたが、そんな生活が5年ほど続いた頃から、どこかで音楽に見切りをつけなければ…という思いも出てきていました。自分の置かれている状況の中で、何かを変えたいという思いが徐々に強くなり、「高知へ帰る」と自分の気持ちの整理がついてからは早かったです。音楽の制作自体は高知でも出来る、ということも決断の後押しになったように思います。
高知に帰ってきてからも、すぐに状況が大きく変わることはなく、なんとなく鉄工所に就職し、好きな音楽制作も継続していました。ですが、次第に音楽も作らなくなってきて、目標を見失い「これからどうしよう」と不安になった時期もありました。
そんな折、身近にあった鉄でモノ作りを始めました。それというのは、すごく鉄が好きだからとか思い入れがあったからということではなく、自分の扱える唯一のモノが『鉄』だったからということでした。モノ作りは小さい頃から好きだったので、独学でハンガーラックやスツールなどの家具を鉄で製作し、どんどんとのめり込んでいきました。
―独立への道
鉄工所に勤めながら少しずつ機械・工具を集め、2年くらいかけて独立の準備を進めました。当初は設備投資資金もなかった為、壊れた機械をオークションで安く購入し、直したりする事でなんとか自分の工房を整備していきました。
「逃げ道を作る人は成功しない」と言う言葉をどこかで目にして、いつか覚悟を決めなければとずっと思っていました。8年勤めた鉄工所を退職し、鉄を扱うクラフトデザイナーとして独立したのは2008年のことです。
当初はお客さんも十分についていませんでしたので、作品をオークションに出品したり、「やっていけるだろうか」と不安に駆られる中で家族を養うためにと黙々と制作活動をしたりしたこともありました。
それでも、マイナーだったインダストリアルデザイン(※)が注目されるようになり、雑誌や記事などで取り上げて頂くと、オーダーを受けることも増え、少しずつ「やっていけるな」という自信に繋がっていきました。
(※)インダストリアルデザイン…工業デザイン。工業製品で、使いやすさと美しさを目的とするデザイン。出典:大辞泉(小学館)
―これからについて
現在の無骨なデザインの根底には、ずっとやってきた音楽の影響が大きいと思っていて、音楽をやっていなければ現在の作品は生まれなかっただろうと思います。鉄工所に勤めていただけではできなかったと思うし、これまでのいろいろな経験が活きてきていると思います。
ただ、同じものを作り続けるだけではなく変化もしていきたいと思っているので、これからの展開も考えているところです。
一時期遠ざかっていた音楽も友だちと再開できそうなので、そちらも楽しみですね。
―移住検討者へメッセージ
“やめないこと”。
目標に向かっていれば、必ずしんどいと思うことがでてくるけど、頓挫する理由がない限りは、少しずつでも続けること。そうすれば、多少道がそれることがあったとしても、自分だけの道が出来ると思います。継続は力なり。
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