移住者インタビュー
地域に根差した「会計士」でありながら、念願の「農業」も並行してなりわいにする! 半農業×半会計士のライフスタイルを目指す阿部さんの奮闘記。
阿部 良太(あべ りょうた)さん
京都府出身。大学卒業後、大手メーカーの営業職を経て2007年公認会計士試験に合格。大手監査法人に勤務し、主に上場企業に対する法定監査業務や会計コンサルティング業務に従事する。2019年、二人の息子、妻とともに高知県香南市(こうなんし)に移住。山北みかん農家研修生として「半農・半会計士」の生き方に挑戦している。
会計士の仕事を続けながら、移り住む。
高知へ来るまで十数年、監査法人に所属して会計士をしていました。
会計士の業務は、一般の方にはなじみが薄いかもしれませんが、僕にとってはやりがいのある、面白い仕事です。
会計士の世界を説明するには、お医者さんに例えるとわかりやすいかもしれません。大手監査法人の会計監査やコンサルティングの仕事は、いわば大病院の高度な最先端医療みたいなものです。
僕がかつて勤務していた監査法人は、大手上場企業が相手。10人~20人のチームでひとつの顧客を担当していました。クライアントである大企業は社員をたくさん抱えていて、たいていのことはこなせてしまう。そのうえで、我々監査法人の会計監査やコンサルティングサービスを求めてくるわけです。当然そのリクエストは厳しいし、大企業同士の熾烈な競争のただなかにあって、生き馬の目を抜くような大変な世界です。それはそれで面白い仕事ではあるのですが。
一方で、個人で開業している会計士事務所はいわば町のお医者さん。クライアントは地域の中小企業です。会計や企業の経営をどうやって回そうか悩んでいるような、そういう人達をサポートして経営がうまくいくよう支援するのが主な業務です。
大きな監査法人からの独立開業や、小さな規模の町医者的なポジションへの転向は、会計士の世界ではよくあることです。僕も、自分の専門性を活かして地域の人たちを助けたいという、町医者志向がずっと以前からありました。
高知県へ移住するにあたって監査法人は辞めましたが、会計士の仕事そのものを辞めたわけじゃありません。ただ、その内容は大きく変わりました。
地域に根差した「会計士」でありながら、長らくやりたいと思っていた「農業」も並行して生業とする、「半農業×半会計士」のライフスタイルを目指しています。
大手監査法人に勤めていた頃。10年以上在籍していました。
農業はこの先、きっともっと面白くなる。むしろ今がチャンスかもしれない。
農業は将来なくなってしまう職業ではありませんよね。逆にチャンスにあふれていると思うんです。
僕の個人的な意見ですが、従来の農業の構造は、あらゆる業種業界の中でも遅れているように見えます。会計の専門家の目で見れば、原価や諸経費の計算、売り先や売値のことなど、改善の余地があるように思えるんです。
それに今の時代、農業に従事する人は少なくなっていて、みんな高齢化や後継者不足に悩んでいる。農業をビジネスとしてとらえれば、「今が新規参入のチャンスなのかもしれない」と思いました。
もともとアウトドアや土を触ることが好きで、高知県へ移住する5~6年前から農業そのものに興味がありました。当時住んでいた横浜のマンションから車で1時間半くらいのところに、小さな家庭菜園を借りて、ナスやピーマンを作り始めました。初めての農業体験でしたけど、面白かったですね。でも畑まで行くのに片道1時間半というのはやっぱり遠くて…。移住を考え始めるきっかけの一つでした。
横浜在住時代、車で1時間半程度の距離にあった菜園。
この一角を借りて、ナスやピーマンを作っていました。
会計士と農家、両立の道。
本格的に農業を始めようと思ったきっかけは、東京で開催されていた「こうちアグリスクール」。ネットで偶然見つけて、タイミング良く初日から通うことができました。アグリスクールで学んだ農業はとてもロジカルで、データを駆使した農業スタイルでした。これは面白かった。農業を仕事として始めるイメージを具体的に持てました。
ただ、スクールで推進していたのは、ハウスを使った施設園芸で、初期投資が大きかった。僕は既に結婚して幼い子どもを抱えた状態で、あまり経済的なリスクは負えません。それに、施設園芸は専業農家でなくては続けられない。これもネックでした。
僕は会計士を仕事の軸としながら、農業にチャレンジしたかった。
農業だけじゃなく、会計士だけでもない、両立できる道を探していました。でもそんな道は見つからなくて、一度は諦めかけました。
釣りがつないだ縁。
妻は神奈川県出身ですが、あまり都会暮らしにこだわりのある人ではありません。横浜在住時代から、家庭菜園も一緒に通っていました。「農業を始めてみようかと思う」という話をしたら共感してくれて、一緒に移住先を探し始めました。
都会の生活は人混みを避けては暮らせません。それが一番嫌でした。僕の出身地の京都も観光客や人の数が多くてどこへ行っても混雑しています。移住とはいえ、Uターンは考えられませんでした。
妻と2人で話し合って、人の数が多すぎず、少なすぎない、農業を始めるのに適した町を探し始めました。僕は釣りが趣味で、できれば海がある町が良かった。あと、雪が降るところも避けたかった。数年かけていろいろな土地をめぐるうち、最終的に高知県を選びました。
高知県に移住を決めたのは、釣り仲間との縁が大きかったです。
アグリスクールで出会った人やその友人など、移住先を検討中に何度か高知県を訪れて、そのたびに知り合いが増えていきました。
僕は磯釣りが好きで、大月町などがある幡多(はた)地域に仲間と連れ立って行っています。清水サバの刺身は高知に来て好きになりました。カツオのたたきもそう。関東ではあまり食べなかったけど、こっちで食べてその美味しさにびっくりしました。
高知県大月町にある小才角(こさいつの)の磯。よく行く釣り場のひとつです。
最近なかなか行けていませんが、やっぱり磯釣りは面白いです。
山北ミカンの師匠との出会い。
僕が作っている「山北ミカン」は、高知県の特産品。
香南市の地域おこし協力隊で「山北ミカンの農業研修生」の募集があって、思い切って手を上げました。農業をしたいと願ってはいたけど、果樹農家は全く想定していませんでした。果樹は最初に収穫できるまでに数年かかるイメージがあって、素人が簡単に始められるとは思えなかったんです。
最初に紹介されたのが、ミカン農家の近森秀好さん。僕のミカン農業の師匠です。
出会いの第一印象から、明るくてフランクな人でした。「農業やってみたいんです」と言ったら、初心者の僕に向かって「おー。できるできるー」と即答で返ってきた。そのあっけらかんとした気さくさに惹かれました。近森さんは僕と同じく釣り好きで、今では大事な釣り仲間です。
近森さんに限らず、僕の周りにいる高知県人は大抵おおらかで、気持ちに余裕がある人が多いように見えます。抱えているストレスの度合いが違うのか、いわゆる県民性なのかはわかりません。
ミカン農業の師匠、近森秀好さん(右)
自分なりのやりかたで。
香南市には「株式会社山北みらい」という会社があります。まだ立ち上がったばかりですが、農業×地域をテーマに、地域をまるごと豊かにすることを使命にしたユニークな会社です。今は業務委託契約でサポートしているのですが、協力隊卒業後は会計士として経営に関わっていけたらと思います。
実際に現場で農業をしながら、地域の会計士としても働くのがこの先の理想です。イメージとしては週の半分をデスクワーク、残りを畑で過ごしていけたら最高。
クライアントは変わりましたが、会計士の業務としては面白くなりそうで、わくわくしています。
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