移住者インタビュー






高知へUターンしたきっかけは、「高知のきれいな水でウイスキーをつくりたい」という思いでした。
自然、人との出会い、そして地域おこし協力隊という制度との出会いが、今の「仁淀川蒸溜所」へとつながっていきました。

山﨑祐大さん
高知の水で、ウイスキーをつくりたい―
県外の食品会社で、梅の飲料やジャムなど、梅に関わる商品開発に携わっていた山﨑さん。
梅以外にも新たな事業の柱をつくりたいという社長の言葉をきっかけに、新規事業としてウイスキーとジンを自ら提案します。
「もともとウイスキーとジンが好きっていうのが大きいですね。あと、梅と違って、国内の農作物の収穫量に影響を受けにくくて、でも、日本ならではのものが作れる。そして賞味期限がないので海外にも持っていきやすいっていうので、提案した感じですね」
そこから当時の専務(現・社長)と二人で、ウイスキーやジンづくりに挑戦することになりますが、知識はほとんどありませんでした。
「何も分からない状態で、本当に手探りでした」
情報を集めながら、2019年に蒸溜所を立ち上げます。
そして、いよいよ海外から講師を招いてウイスキーづくりを始めようとしていた矢先、新型コロナウイルスが蔓延。講師の来日がかなわず、当時はまだオンラインで学ぶという選択肢もありませんでした。
そのため、その後も独学で試行錯誤を続けます。
ジンづくりでは、梅の商品開発で培った知識や経験が役立ったそうです。
手探りながらも、これまでの経験を応用してつくった山﨑さんのジンは、「これまでのジンとは違う」「お酒とは思えないような飲みやすさ」と評価され、蒸溜所立ち上げからわずか1年で世界的な酒類コンペティションで世界一を獲得しました。
少しずつ経験を重ね、研究していく中で、山﨑さんが感じるようになったのは「良い蒸溜所には、良い水がある」ということ。
そして次第に「地元の水も綺麗だったなぁ…」と、高知の水が頭をよぎるようになっていきます。
「良い水」と「人」との出会いが、仁淀川町へとつながっていくー
「仁淀川って、下流の水でもきれいなんですよ。」
仁淀川の下流がある高知市春野町で育った山﨑さんは、お酒づくりを続ける中で次第に「仁淀川の最上流の水でつくってみたい」という気持ちが芽生え、独立を考え始めます。
ただ、その頃はまだ、仁淀川は県外ではそれほど知られていませんでした。
「最近は県外でも“仁淀川”や“仁淀ブルー”という言葉を知ってる人も増えましたけど、当時は認知度やブランド力で言ったら四万十川のほうがあったので…」
そのため、四万十川の流れる地域や、海洋深層水で知られる室戸市なども候補に入れながら、どこでなら実現できるのかを考えていました。
仁淀川も四万十川もいくつもの市町村にまたがって流れているため、すべての市町村を訪れて話を聞いて回るのは簡単ではありません。そんな時に見つけたのが、高知県内の34市町村が集まる「高知暮らしフェア」でした。
高知県出身とはいえ、実は仁淀川町を訪れたことがなかった山﨑さん。
フェアで仁淀川町の担当者と直接話したことで、町のことや自分がやりたいことを具体的に相談でき、翌月には町を訪れることになります。
「仁淀川町の水のきれいさは、もう想像以上でした。」
「ここならできる。そして、この担当者がいる町でやりたい!」
実際に町を訪れ、町の人と話し、環境を見ていく中で、そう思えたことが、仁淀川町を選んだ大きな理由でした。


協力隊の3年間を戦略的にー
ただ、蒸溜所をつくるには、当然お金も時間も必要です。
そこで仁淀川町から提案されたのが、地域おこし協力隊の「フリーミッション」。
当時、地域おこし協力隊という制度自体を知らなかった山﨑さん。
「蒸溜所の立ち上げには最短でも2年ほどかかるし、お金も1億くらい必要になるだろうな、と思っていて。2年間貯金で生活するのは大変なので、提案してもらった地域おこし協力隊だったら、もちろん協力隊としての活動もありますけど、一定の収入を得ながら準備もできるので、いいなと思ってすぐ決めましたね。」
そして2024年4月、仁淀川町に移住し地域おこし協力隊として着任すると、同月には高知ウイスキー株式会社を設立。まずはこれまでのつながりを活かして県外の蒸溜所を間借りする形で、仁淀川の水を県外まで運び、仁淀川の水でのお酒づくりを開始します。
さらに始めたのが、奥さまが得意なお菓子づくりのスキルを活かした、クロッフル(クロワッサン生地のワッフル)を販売するキッチンカーです。
一見すると蒸溜所とは関係のなさそうなキッチンカーですが、これもすべてつながっています。
キッチンカーに「仁淀川蒸溜所」の名前を入れて高知県内を走りながら蒸溜所の存在を知ってもらう。
イベントではクロッフルを販売しながら、山﨑さんがつくったお酒も販売する。
そうして、商品を知ってもらい、売上の実績をつくり、お客さんをつくる。
実際に、キッチンカーで出会ったお客さんは、お酒の販売にもつながっていきました。特にジンは女性にも人気があることから、女性客の多いスイーツを販売するキッチンカーは、結果的に相性が良かったそうです。
「自己資金ゼロ」でのスタートだったからこそ、山﨑さんは、起業には「どうやって実現するか」「融資を受けるためには何が必要か」など、思いだけではなく戦略的に考えることが大切だと話します。
人と自然が、つながっていく―
山﨑さんが仁淀川町で暮らしていく中で、町の魅力として気付いたのは、何よりも「人」だそうです。
「すごい田舎なんですけど、すごく優しい町です。」
挑戦している人を応援してくれる人がいて、見守ってくれる人がいる。
町の人たちがたくさん応援してくれたからこそ、蒸溜所が完成した際には、山﨑さんのお酒のお披露目や販売だけではなく、地域の方にも出店してもらい、町の人たちにも楽しんでもらえるイベントを開催しました。
地域からたくさんの人が訪れ、イベントを楽しんでくれたそうです。
「前職の社長も来てくれてたんですけど、地元の人に愛されているっていうのがすごく伝わってきたと言って喜んでくれていました」
そう言ってもらえたことも嬉しかったそうです。
そして、この町では、「自然そのものが仕事につながる」とも感じています。
「実は、最初に『BLUE GIN IMUA』を作ったんですけど、あれは移住したばかりの時に仁淀川をイメージして作ったもので、『ニヨドドド』は、住んでるうちに山もすごいなと思って町の山をイメージして作ったんです。」
仁淀川町の自然や地域の素材を、商品として表現することにつながったそうです。


蒸溜所から、町全体の魅力へー
2025年には仁淀川町からの提案もあり、関西万博にも出展。仁淀川蒸溜所のお酒を知ってもらうことはもちろん、“仁淀川”や“仁淀ブルー”というキーワードとともにPRしました。
山﨑さん自身も、関西に住んでいた2年前より、仁淀川町の認知度が上がっていると感じたそうです。
そして今後は、「お酒をつくる体験」と「仁淀川町での体験」を掛け合わせたツアーも形にしていきたいといいます。
「ウイスキーやジンづくりって、待ち時間が2~3日かかるんですよね。なので、1日目にお酒づくりを体験してもらって、出来上がりを待つ期間に町の自然やアクティビティを楽しんでもらう。そして、最終日に蒸溜所に戻ってきてもらって仕上げてもらう。その夜には、自分で作ったお酒を味わってもらうというプランをやりたいなって、初めて仁淀川町に来た時に思いましたね」
お酒を入口に、仁淀川町そのものの魅力を知ってもらう。
それが、山﨑さんのこれからの目標です。
「やりたいこと」を実現するために―
「ここ二年ぐらいすごく運が良くて、必要な時に必要な人と出会うことが多くて。もうほぼほぼそれで乗り切ってきたんですけど」
山﨑さんは、必要なタイミングで人と出会い、助けられてきたことを「運が良かった」と振り返ります。
けれど、お話を伺っていると、そうした出会いの背景には、山﨑さんが町の人とのつながりを少しずつ築いてきたことがあるように感じます。
「協力隊の活動はコミュニケーションが大事になってくるので、役場には朝は挨拶、夕方はその日の活動を報告という感じで1日2回行くようにしてました。あと、仁淀川町は役場に協力隊の席も用意してくれてるので、そこで他の協力隊の人たちと話も出来るので。」
「町の人からも、田舎ならではで、自分が知らない人からも声かけられる、みたいなのもすごいあるんですけど、知らない人には正直に、誰でしたっけ?って言いながらコミュニケーション取ったりしてます(笑)」
これから地域おこし協力隊を目指す人へのメッセージも伺いました。
「地域おこし協力隊は、最長3年間の時間があります。でも、最後の1年になってから会社を立ち上げるのでは、実績がなく、自己資金もないとなると、そこからお金を借りるのは厳しいと思います。」
「会社を立ち上げなくても、まずは個人事業主としてでもいいので、『自分にはこれだけ売る能力があります』と示せる実績をつくるのは大事だな、と思います」
協力隊の期間を、地域で活動するだけで終わらせず、その先に自分がやりたいことがあるなら、そのための準備期間として戦略的に使ってほしい。
山﨑さんは、そう話してくれました。
■高知ウイスキー仁淀川蒸留所
公式HP
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